ドラゴン少年はアロンゾ・キハナの夢を見るか


アンテナを二箇所追加。どちらのブログも内容が濃く、読みはじめると止まらずにうっかり徹夜してしまいそうな勢いで面白過ぎる! スゴイブログ。


去年の記事になるが、今回アンテナに追加した『なんでも評点』さんの記事に『「世界を救うことを宿命付けられたドラゴン、それが僕の真の姿」と言い残し、短剣2本を携えて家出した少年』というものがあった(2006年12月20日の記事)。その後の少年の行方は続報があるのかないのか不明だが、しかしその記事を読んだ時、なんだか酷く感慨深いものを感じた。巧くは言えないが、一時期得体の知れないブームを巻き起こした(らしい。リアルタイムで肌で感じたことはなかったので)『前世』ものよりは、むしろ彼はラ・マンチャの男ドン・キホーテなのかなと。


自分は基本的に前世物は好まない。だが、ドン・キホーテの物語は好きだ(Wikiによると聖書の次にベストセラーであり、史上最高の文学百選の一位でもあるらしい)。自分の前世が世界を救う戦士だったという少女と、活字中毒が高じて自分が騎士だと思い込んだ老人のどこに違いがあるのか。
少女は自分を特別な存在だと言い、凡庸な他者を憐れむ。選ばれし存在である自分を認めない世界を蔑む。基本的にそこにあるのは拒絶と否定だ。だが、アロンゾ・キハナは自分は騎士であり、宿屋の主人は城主であり、田舎娘は貴婦人だと言う。自分と同様に他者をも尊ぶ。前世少女は世界を拒むが、ドン・キホーテは世界を愛する。それは少女と老人の差なのかもしれないし、アロンゾ・キハナの狂気の底に拒絶と否定がないとは言えない。だが自分には、彼の狂気の根底には前世少女のものよりもあたたかいものがある気がする。
前世少女は自分と同じように生まれ変わった、選ばれし特別な仲間を探し求める。ドン・キホーテはたった一人で風車に立ち向かう。そうして結局少女は自分だけの殻に閉じこもり、何ひとつ(自分自身をも)救えず、変えられない。ドン・キホーテはその愛すべき狂気で、周囲の人間に夢を与え、自尊心を呼び覚ます。前世少女は、馬鹿ではないけれど愚かだ。アロンゾ・キハナは、馬鹿だけど愚かではない――。


自分はドラゴンだという少年は、そのうち、アロンゾ・キハナと同じように家族のもとに帰り、正気に戻されるのだろう。或いはもうとっくに戻っているのかもしれないが。少年はそれまでの間に、一体何を見て、何を考えるのだろう。そうして正気にかえった時、彼の中には何が残るのだろう。彼がその狂気で(ドン・キホーテのように)周囲の誰かに少しでも何かあたたかいものを与えられれば、その狂気も無駄ではないのかもしれない。


なんてことを考えながらつらつら原稿を進める毎日。