【漫画(家)10年サバイバル考・1】ライトノベルと漫画家(続き)


夜中に半分寝ている頭で(原稿そっちのけで)記事を書いた後、爆睡して起きたらYUZUMUGEさんからトラックバックを頂いていました。恐縮至極、ありがとうございますm(_ _)m。すぐにレスをと思いつつ原稿仕上げに取り掛かって二日潰れ、遅くなってしまい申し訳ありませんでした。


前日の記事で『YUZUMUGEさんの記事と写真から判断するに、『ライトノベル化』はここ数年出版の新作に限るようで、昔からある旧作の絵まで差し替えるようなことは無いようだ』と早合点してしまいましたが、YUZUMUGEさんのご指摘によると過去作品にも着々とパッケージ(挿絵)の改変は行われているとのことです(『児童文学の挿絵の変遷』にて)。YUZUMUGEさんのご紹介されている『不思議の国のアリス』、確かに発売当時『児童文学にも萌えの波がジーザス!』みたいな記事を週刊新潮で(笑)読んだ記憶があります。作品の古今東西を問わず、児童文学の挿絵のマンガ化・イラスト化は着実に進みつつある――とみるのが正しい認識なのですね。ご指摘ありがとうございましたm(_ _)m。これだけ調べ上げたYUZUMUGEさんの努力に心からの賛辞と御礼を申し上げます。


以下、前回からの続き。

さて、いち漫画家としてはこの『児童文学のパッケージのマンガ化・アニメ化』傾向は歓迎するべきものだと思える。だがいったん漫画家という立場を離れて見ると、この現状には一抹の不安を覚えるというのが正直な気持ちだ。これでは、子供の嗜好や想像力が画一化されてしまうのではないか?という不安だ。

この不安は、児童文学を子供に『読ませたい』と願っている保護者たちとシンクロするものであるかもしれない。例え保護者たちが『児童文学のパッケージのマンガ化・アニメ化』に対して眉を顰めたとしても、彼らが必ずしもマンガやアニメを卑下・否定している訳ではないだろう。ただ、「マンガやアニメ『だけ』にしか触れないのは困る」と思っているのではないだろうか。勿論、『内容までマンガなのか?』と不安に感じる方の中には『マンガ=低俗』という考えを持っている御仁もいるのであろうが。

彼らの不安はよくわかる。マンガやアニメが隆盛し、世の中がマンガナイズされている現代だからこそ、マンガ以外の様々な絵や物語に触れて視野を広げてほしいと願うのは親として当然だ。まして、まだ幼い子供ならなおさらのこと。
そしておそらくは同じ想いから、子供に読みたいと思わせるために、児童文学のパッケージはマンガ化していったのだ。マンガ以外のものを読ませるために、マンガ絵という手法を取らざるをえなかった創り手側のジレンマ。それを思うと、マンガ家としては何だか申し訳ない気がしてくる。

だが自分も現在描かせて頂いている『霊験お初』に関しては、このマンガをきっかけに原作の小説を読む人が一人でも増えてくれればいいと願っている。非常に面白い作品なのに、時代物というだけで敬遠してしまう人がいると聞いたからだ。勿論、そんなことをしなくても宮部先生の作品なのだから問題は無いのだろうが(笑)。


まとめ。
漫画家として、マンガを否定する気など毛頭ないし、マンガは大好きだ。だが、マンガではない児童文学の挿絵がすべてマンガ絵で、子供たちの好みが内容ではなく、その絵によって決まるのだとしたらこれほど切ないことは無い。また、児童文学の物語の登場人物は全て可愛すぎるマンガ絵によってしか表現されないのだとしたら、これほど寂しいことは無い。だが一番怖いのは、マンガに溢れた世界で、マンガ的なものを与えられ続けてきた彼らが、いつかマンガに飽きて、マンガを蔑んで嫌ってしまうことだ。十年後もマンガを描いていたい自分には、それが一番怖い。


色々と考えているうちに『小説とマンガの違い』とか本題とかけ離れたところにまで思考が行ってしまい、頭の中がまとまりませんでした……がとりあえずこれで終わっときます。小説のコミカライズをしている身として、その辺りは一度書いてみたいと思います。要旨としては、情報量の違い(小説>マンガ)だろうってことなんですが。